福岡市西区姪浜駅からほど近くの静かな住宅街で、ひっそりと十数年、隠れ家整体院を営む自然整体ウツロイです。
さて、驚くことに三月はもう後半に突入…!
突入して、さらにもう2日も過ぎている…。
二月は逃げる、三月は去る、と言いますが、ぼくの中では、まさに消え去るように三月が過ぎていきます。
一体、前半は何をしていたのか。
YouTubeの再開をしようと、ずっと考えているのですが、まったく手が付けられていない。
「考える前に行動!」
これ、成功の秘訣なのですが
踏み出せずにいます。
私たちは、人生のシナリオをあらかじめ決めて、この世に生を成すと言われています。
肉体から離れた魂の状態では、誰もが楽しく、幸せな世界で過ごしているそうです。
そこから、私たちの生活を見ていて
「この2人の下に生まれたら楽しそうだなぁ」とか
「この人に寄り添ってあげたいなぁ」とか
魂はお母さんを選んで宿る。と、言います。
「生まれる前の記憶」を持つこどもがいるそうです。
1歳〜3歳になる前までのこどもたちに、生まれる前は何してたの?
生まれる前のこと覚えてる?
など、質問をすると
稀に、魂だった頃の記憶を持っている子がいるそうです。
「仲良しの子に、ぼくはこの人のところに生まれるから、後から必ず追いかけて来てね、と言って生まれたんだけど、その子が生まれたのは2年後で妹として生まれて来た」
「仲良したくさん居たのに、こっちに来てからは誰にも会えないから寂しい」
など、魂の世界は本当にあるのだろう。
これ、実はぼくもかすかに記憶していることがあって…
普通は小学生に上がるような頃には、その記憶はなくなっているそうなんですが、ぼくは、なんだか印象に残っている部分だけは記憶しています。
暗い場所から、ぼんやりとテレビを見ている。
白黒の鬼太郎のアニメでした。
遠くでは、おそらく母ちゃんと父ちゃんが話している声がしていました。
何を話していたかまでは覚えていません。
ぼくが生まれてから普通にテレビを見て、現世の物事が少しずつ脳にインプットしていくような頃には、鬼太郎はカラーだったはずですが、何故か見たこともない昔のアニメの事などを父ちゃんに話して
「お前、なんでそんなん知ってんのん!?」
と、言われたこともありました。
魂の世界では、すべてが満たされていて、何かを体験したくて生まれてくるんだと聞いたことがあります。
今はテレビなんてまったく見なくなりましたけど、生まれる前はテレビとか、アニメを見たくて、生まれて来たのかも(笑)
今世では、魂の世界での目標は達成しているのか…、それとも、何か目的はあるのか。
小学生の頃、ぼくは何のために、何しに生まれて来たんやろ?
生まれて来て何がしたいん?
と、よく考えている時期がありました。
答えは見つけていませんが、何か目標、目的はまだあるんでしょうね。
私たちは、魂の世界から現世に降りる前に、人生のシナリオを決めて降りて来ている。
あなたはどう感じますか?
ブループリント
あらかじめ決まったシナリオを進めている。
○歳○ヶ月、何月何日には嬉しいことを体験。
嬉しいとはどんな心境なのかを知るための体験。
○歳の何月何日、何時何分に車にはねられる!が、無事に済む。
車にはね飛ばされる!
痛みと驚き、あまりの出来事の瞬間はスローモーションになることを体験したかった。
○歳、○月○日○曜日の○時
○○を体験!
あの日の朝の味噌汁の具は、母がそれを作ると決めて降りて来ていた。
私は、その味噌汁を食べながら、これからの人生について母と語る、と決めて来ていた。
あの日、トイレにカバンを置き忘れ、取りに戻ることで、あの人に会うことよう時間を調整されていた。
その人は、○年○月○日○時に、その場所に訪れることを決めてきていた。
ぼくはカイロプラクティックをすること決めて来た。
だから様々な体調不良を経験し、謎の頭痛に悩み、腰痛に苦しんだ。
病院では治らず、カイロプラクティックで治った。
だからこの道を選ぶことにした。
けど、最初から、生まれる前から、そう決めていたし、そうなるようにシナリオを作っていた。
ぼくが、カイロプラクティックに出会い、この道に進んで来たのは、まさに奇跡のようなストーリーで進んで来た。
YouTubeの再開も、その時が来ればやり出すのかもね。
何となく、きっかけの様なことが巡って来ているように感じる。
様々な因果が絡み合って、私たちの人生、この世は作られている。

故に、自分の人生のシナリオにそぐわないものには、どうしても拒否、拒絶が起こる。強制力が働く。
(それもシナリオどうりなのかも知れないけど)
上手くいかない
スムーズにいかない
前に進まない
頓挫する
その道に沿うまで繰り返す
自分のシナリオだけなら、なんの障害もなくスムーズ過ぎて、一体何のために生きているのか?分からないし、退屈に過ぎて行くだけ。
苦悩も不安も恐怖も怒りも無い。
ネガティブが無ければ、ポジティブも無い。
楽しみ、安らぎ、愛、慈しみも無い。
宇宙には善と悪という概念はない。
ただ“ある”だけ。
善も悪もない魂の世界は退屈だった。
だからいろんなことを体験したかった。
他人のシナリオが複雑に絡み合うことで、衝突が起きたり、逆に喜びを感じることができたり。
他人のシナリオと自分のシナリオとが、上手に流れていく、ある程度の不満とある程度の喜びがあり、充実した人生を作っていく。
あなたの魂が体験したかったコトはなんでしょうか?
魂の記憶を思い出すことは難しいようですが、魂が体験したかったことを探り、歩みを進めていくと、面白いことが起こってくるかも知れません。
世界の様々な因果と溶け合うと、世界全体のパワーが働き始め、自分ひとりでは辿り着けなかったシナリオの最深部に到達できるかも知れない。
それが「委ねる」。
ということでしょうね。
さて、今回のブログが誰かの何かの助けになっていたなら幸いです。